17) 他人の善意を認める努力をしましょう。

 お気付きでしょう。私達がいちばん傷つけられるのは、その善意が疑われることです。確かに、人間は弱いもの

 です。たとえ、一生懸命やっているつもりでも、行いが間違っていることがあるし、考え方が間違っていることも

 あります。やはり、人の善意は完全なものではないのです。でも、最高の宝、最後の拠り所です。善意までも疑

 えば、その人には生きる場がなくなり、付き合いも不可能になります。むつかしい時もありましょうが、神がされ

 るように、善意を認める努力をしましょう。

 世の中の悪は、目にあまる時があります。憎しみ、いじめ、権力争い、だまし・・・。

 反面、目に見えない善意も、そして、弱さ、疲れ、未熟さなど弁解の理由もあるのです。

 他人に対して、責めよりも、励ましと思いやりが必要でしょう。「他人からしてほしいと思うことを、あなたも他人に

 しなさい。」というイエスの御言葉を思い出しましょう。なお、相手の善意を認めれば、違う考え方や信仰の人に

 対しても寛容さが可能でしょう。実際に神の御前に大切なのは、人の考え方よりも人の救いなのです。

 神は、御憐れみによって、善意ある全ての人をお救いになると教会は信じています。

 
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