カトリック河原町教会 広報部
日本のカトリック教会がかねてから念願としていました、ペトロ岐部と187殉教者の列福が2007年6月1日、
教皇ベネディクト16世の裁可が下り正式に決定致しました。今回の列福については、今から26年前の1981年
2月18日、前教皇ヨハネ・パウロ二世がフィリッピン、マニラで行われたドミニコ会、ロザリオ管区の16人の殉教
者の列福式に起源があるのではないかと思います。1633年〜1637年の間に日本の長崎に於いてドミニコ会
エルキシア司祭はじめ4人のスペイン人司祭、アンサローネ(イタリア)クルテ(フランス)の計6人の外国人司祭と
ただ一人在俗のフィリッピン人ロレンゾ・ルイズ、そして、日本人ヤコブ朝長、トマス西、ビゼンテ塩塚の3人の
司祭、2人の修道士、2人の修道女、信徒で京都のラザロともう一人の信徒ミゲル九郎兵衛を含めて9人の日本
人の計16人が殉教致しました。そして列福される事になったのですが(1987年バチカンにて列聖)本来ならば、
この列福式は殉教者の数からいっても日本の長崎かローマで行われても不思議ではありませんでした。
しかし当時権勢を誇ったマルコス政権の威信とマニラ出身のハイメ・シン大司教が特別のご努力をなされ、400
年に及ぶフィリッピン、カトリック教会の歴史の中で最初の殉教者であり、福者となるため、教皇に願い出て裁可
されたのでした。1981年2月18日午後4時から始まった列福式は椰子の並木のそよぐマニラ湾に面した広大な
ルネタ公園で行われ、灼熱の太陽の下、200万人を越えたといわれる熱狂的な信徒が集まり、真っ赤な夕日が
マニラ湾に沈むまで盛大に行われたと伝えられています。
そして、教皇様は帰途2月23日、日本に到着されました。東京での歓迎式典はじめハードなスケジュールをこな
され、25日には広島平和記念公園で、あの「戦争は人の仕業です。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死
です。」で有名な平和アピールを世界に向けて発信されました。翌26日、吹雪舞う厳寒の長崎に入られ、浦上天
主堂での修道女のつどいに参加された後、48,000人の熱烈な信徒の待つ長崎市営、松山競技場での歓迎集
会と殉教記念ミサに臨まれたのでした。
そのとき、教皇様は日本の多くの殉教者について、深い想いを述べられました。
日本のカトリック司教協議会は、これを時のしるしと捉え、翌1982年下調査を開始し、1984年にはローマ聖座
の承認を得て正式に列福調査が始まったのでした。
以来四半世紀、ようやくここに列福が正式に決定されたことは、誠に喜ばしいことで、日本は立派なキリスト教国
でもある事を世界の人々に知って頂く良い機会になったと思います。
ここでヨハネ・パウロ二世の長崎での殉教記念ミサでのお話の一部をご紹介します。
『この過去と現在のつながりは、神の祝福、母なる聖マリアの助力、そして数知れない福音の証人(アカシビト)
たちの取次ぎの実りです。 それはより輝かしい未来の保証であり、その未来を、朝、日の出とともに輝く光を
送り、雪の白さ、あるいは桜の花・蓮の花の薄紅色などで、この美しい国土を新しく、生き生きとさせる太陽にも
たとえることができましょう。私達キリスト信者にとって道とは「神よりの神、光よりの光、まことの神よりのまこと
の神」であるキリストによって開かれた道のことです。』
イクトウス 2007年6月号より
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