河原町教会の歴史

年号
(西暦)
できごと
1550年日本に宣教にやってきたフランシスコ・ザビエルらが、天皇に謁見するため入洛したが、謁見は実現しなかった。
1560年フランシスコ・ザビエルが日本を離れたあとに国内で布教活動を続けた日本人イエズス会士、ヴィレラ・ロレンソが将軍足利義輝から布教の許可を受け、京都・四条に教会を開設した。
1587年宣教師追放令が発令されたが、布教活動は黙認されながら継続して行われた。
1596年再度禁教令が発令され、京都に住むフランシスコ会員とキリスト教徒全員を捕縛して磔の刑に処するよう命じられた。大坂と京都でフランシスコ会員7名と信徒14名、イエズス会関係者3名の合計24名が捕縛され、堀川通り一条戻り橋で左の耳たぶを切り落とされて、市中引き回しとなった。
1597年24名を長崎で処刑せよとの命が発令され、京都から歩いて長崎へ向かうことになる。道中で2名の信徒が合流し、計26名が長崎で処刑された。
1612年全面的キリシタン禁令が発令され、京都近辺の諸教会が破壊された。
1619年10月6日、鴨川の六条から七条の間、現在の正面橋のあたりで、52名の信徒が火あぶりの殉教を遂げた。うち11名は子供であった。
1866年日本における殉教史を知ったパリ外国宣教会が、京都に教会を建てたいという願いを込めてブロンズの聖母像を作り「都の聖母」Notre Dame de
Miyakoと命名。京都が見下ろせる丘の上に埋めるように託し、ヴィグルー神父の手によって東山将軍塚に埋められた。
1873年キリシタン禁制が廃止された。
1879年パリ外国宣教会のヴィリオン神父が入洛し、「都の聖母」を掘り起こした。またヴィリオン神父は高倉二条に家を借りて、フランス語塾を開講すると共にその場所を仮聖堂とし、布教を再開した。
1881年仮聖堂が問屋町に移転した。
1882年仮聖堂が三条高倉に移転した。
1888年現在の河原町教会の場所に土地と屋敷を購入し、教会の建設が始まった。
1889年7月25日、フランシスコ・ザビエル教会として定礎式が行われた。
1890年5月1日、フランシスコ・ザビエル教会献堂式・祝別式が行われた。
1930年京都布教50周年祝賀会が行われた。
1937年大阪司教区より、京都・奈良・三重・滋賀の1府3県を分離し、京都知牧区(※1)が新設された。
1951年京都知牧区から現在の京都司教区となり、カトリック河原町教会は司教座聖堂となった。
1967年新聖堂(現在の聖堂)建立。なお旧聖堂は、愛知県犬山市の明治村へ移築され、現在も保存されている。
1980年当教会100周年記念ミサが行われた。
2017年新聖堂建立50周年記念ミサが行われた。

(※1) 教区がまだ設置されていない地域に設立される管轄形態のこと。