教会の紹介

カトリック河原町教会の紹介
河原町教会の聖堂は「聖フランシスコ・ザビエル大聖堂」とも呼ばれ、日本に初めてキリスト教を伝えた宣教師たちの一人である、フランシスコ・ザビエルを守護聖人とする教会です。
受付
教会の門から入った左側には受付があります。初めてお越しの際や、ご不明な点等がある場合は、こちらでお尋ねください。なお、受付にはAEDを常備しておりますので、緊急の場合にはお声かけください。
聖堂入り口
聖堂入り口にある聖母子ブロンズ像は、1972年に、彫刻家である木内克(きのうち よし)氏により制作されたものです。
聖フランシスコ・ザビエル大聖堂
聖堂入り口横4列、縦20列木製で可動式、440名が着席可能です。また、補聴システムを用意しておりますので、使用をご希望の方は、聖堂案内係か、受付までお問い合わせ下さい。聖堂はスイス人司祭フロイラーの設計で建設されました。東西43m×南北15.4m×高さ24mで、屋根の曲線は日本古来の神社様式を取り入れたものです。
殉教者の間
聖堂入り口左側には、2008年10月に設置された「殉教者の間」があります。殉教者の間は、2008年に長崎にて列福されたペトロ岐部と187名の殉教者のうち、52名の京都での殉教者を記念する祈りの場です。公式複製画「聖フランシスコ・ザビエル像」、1987年列聖された都のラザロと、1619年の「京都の大殉教」を現すガラスエッチング画及び、ファティマの聖母像などが飾られています。入り口右手(北側)は告解室です。
ステンドグラス
聖堂に入ると右に見えるのは、スイスのハンス・シュトッカー製作のステンドグラス。入り口右手から大天使ミカエル、当教会守護聖人フランシスコ・ザビエル像、さらに奥へ向かって、十字架の道行き14場面と主の復活が日本列島の輪郭を模して配してあります。主張色は緑と紫で日本列島に育成している植物、豊かな光と水に恵まれた日本の風景を表してします。
祭壇正面で、後陣前面を使って表現されているのは、天地創造のイメージです。天頂近くに、神の子羊がみられます。
祭壇
祭壇、説教台、聖櫃台、後方の司教座、内陣席および床はすべて大理石で造られています。
パウロ大塚喜直司教紋章
司教座の上に見えるのは、京都教区の司教であるパウロ大塚喜直司教の司教紋章です。Α(アルファ)でありΩ(オメガ)である主の十字架、希望の星に導かれて世の荒波を渡る教会の船、ミトラを型どった帆には京都教区(京都、滋賀、奈良、三重)を表す4つの十字架が印されています。司教の杖は船を支え、神の民の一致が保たれるのです。船体には主の言葉「私だ、恐れることはない」、下部には司教のモットー「皆がひとつになるように」をラテン語で示しています。
パイプオルガン
聖堂後方の二階席には、パイプオルガンがあります。ドイツ・ボッシュ社により設計・製作されたもので、1971年2月に設置されました。メカニカルアクション・22ストップ、2段鍵盤、平行ペダル、パイプ数1509本です。
小聖堂入口
河原町教会の地下には小聖堂があります。地下には向かって右の階段からお入りいただけます(エレベーターもご使用になれます)。
小聖堂
小聖堂は平日ミサや、黙想会などに利用されています。祭壇奥のエッチングガラスには二十六聖人殉教者の信仰の輝きを示す26の星と、海を越えて福音がもたらされた事を象徴して波が描かれています。大海原を超え日本での宣教を願って送られてきた都の聖母のオリジナルがそこに安置されています。
都の聖母
1847年フランス東部の小村で主任司祭であったレオン・ロバン神父は日本における壮絶な殉教史を知り「日本の改宗を祈る会」を創設し活動を開始されましたが、その呼びかけはフランス全土を越えて広がり大きな動きとなりました。師は都に教会を建てたいというザビエルの願いを叶えようと、ブロンズの聖母像を作り、1865年、教皇ピオ9世による祝別を受け「都の聖母」Notre
Dame de Miyakoと命名されました。それを京都が見下ろせる丘の上に埋めるよう、パリ外国宣教会に託されたのです。禁教令下の1873年ヴィグルー神父の手によって東山将軍塚に埋められましたが、禁教令がとかれた後、宣教のため京都に赴任されたヴィリオン神父の手によって1879年掘り出されたものです。以来、この像は河原町教会で大切に保管されてきましたが、2004年に新たに地下聖堂を設け、都の聖母に捧げられました。