カトリック河原町教会
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京都(みやこ)の大殉教
皆さんは、1619年10月6日に火炙りの刑によって殉教した、 15歳以下の子ども11名を含む52名の殉教者を記念して建てられた、 六条河原の「殉教の碑」をご存知でしょうか。
この碑が建立されたのは殉教から375年を経た1994年でした。 碑の下にいは白い壺が埋められており、中には52名の名前を記し赤いバラを 飾ったリボンが入っています。完成時に中山正美画伯の絵葉書や結城了悟神父著
「京都の大殉教」の本、殉教碑建立のために献金を送ってくださった全国の寄付者名簿 などを一緒に納めて、建立委員が祈りを捧げていた折、 晴れ渡った空から突然雨が降ってきて、皆驚いてしまいました。
もしかすると、400年近く忘れられていた殉教者たちの感動の涙だったのかもしれないと 思うほどでした。 記念碑は田中健一司教によって祝別されました。
当時、キリシタン迫害時代の日本の三大殉教は、 京都(1649年52名)と、長崎(1622年55名)、江戸(1623年51名)の三つです。 これら三つの殉教は火刑でしたが、京都の殉教者が他と違うのは、
宣教師や修道者は一人もおらず、皆一般信者だったことです。
列福までには長い歳月がかかり、長崎で列福式が行われたのは 2008年11月24日です。この列福運動には1981年に来日されたヨハネ・パウロ二世の
「日本は殉教者の国であり、他にも殉教者がいるのでは」という言葉が列福促進に 拍車をかけたということです。
さて、52名が捕らわれた経緯は、当時伏見に 滞在していた徳川秀忠の「キリシタンは火炙りに」という命令によるものでした。 幼い子どもが含まれていたということも京都の殉教者の重要な点です。
テクラ橋本始め、数人の婦人が我が子と共に火刑に処せられました。 燃えさかる炎の中でテクラ橋本は「辛抱しなさい、すぐ天国で会えますからね」と13歳の
娘カタリーナを励ましたそうです。
2017年9月
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